TOCが教える地方スーパー再生の全戦略 第6章 – 「真の価値を測る」

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スループット会計の徹夜作業

7月下旬、蒸し暑い夜。まるやまスーパーのバックヤードでは、閉店後も明かりが消えなかった。

「次は日用品カテゴリーね…」

美咲は目を擦りながら、パソコンに向かっていた。隣では健太と森本も、それぞれの資料と格闘していた。

三人は「スループット会計」の導入作業に取り組んでいたのだ。TOCにおけるスループット会計とは、従来の会計とは異なるアプローチで、商品や活動の価値を評価する方法である。

「美咲さん、これでいいですか?」

健太が見せた表には、各商品カテゴリーの「スループット」が計算されていた。

スループット = 売上 – 完全変動費

「そう、その考え方で合ってるわ」

従来の粗利益(売上 – 仕入原価)とは異なり、スループットは「販売によって本当にシステムに流れ込むお金」を表す。仕入原価以外にも、販売に直接関わる変動費(包装材、配送費など)を差し引いて計算する。

「でも、すべての商品にこれを適用するのは大変だな…」

森本は膨大な商品リストを前に、頭を抱えていた。

「だからこそ、重要なんです」美咲は答えた。「私たちの品揃えは約3,500アイテム。その中から本当に価値を生む商品を見極めるには、正確な指標が必要なんです」

TOCでは、「在庫」と「業務費用」も重要な指標だ。在庫は将来の販売のために投資したお金、業務費用はシステムを運営するために費やすお金を表す。

「問題は、これらの商品を単品ベースではなく、システム全体で考えること…」

美咲はホワイトボードに書いた。

「システムの目標:持続可能な利益を生み出すこと」

「そのためには…」

「T(スループット)を増やし」 「I(在庫)を減らし」 「OE(業務費用)を下げる」

「でも、順番が大事。まずT→次にI→最後にOE」

「なぜその順番なの?」健太が尋ねた。

「経営者が最も影響を与えやすいのがOE、つまりコスト削減。でも、それだけだと長期的な成長は見込めない。TOCでは、まずスループットの増加を最優先すべきと考えるんです」

三人は夜を徹して作業を続けた。商品ごとの「単位時間あたりのスループット」を計算し、それを棚スペースや取扱いの手間と比較することで、真の「価値貢献度」を評価していったのだ。

夜明け近く、彼らは衝撃的な発見をした。

「これは…驚きですね」

健太が指さした表には、売上上位20品目と、スループット上位20品目が並べられていた。驚くべきことに、両者の一致は7品目に過ぎなかった。

「売れ筋商品と、利益に貢献する商品が違う…」

美咲はこの事実に驚きながらも、理論的には理解できた。

特に目を引いたのは、「特売目玉商品」の多くが、スループットでは下位に位置していたことだ。販売量は多くても、単位あたりのスループットが小さく、さらに取扱いの手間や棚スペースを考慮すると、実質的な貢献はわずかだった。

「私たちは『売れている』という指標だけで商品を評価してきた…」

森本は自分の長年の仕事を振り返り、複雑な表情を浮かべた。

「森本さん、これはあなたの責任ではありません」美咲は優しく言った。「多くの小売業がこの罠に陥っているんです。表面的な売上や粗利だけを見て判断するという…」

朝日が窓から差し込む頃、三人は疲れた顔を見合わせながらも、達成感を共有していた。

「これで、本当の意味での『商品評価』ができるようになりました」

商品評価の新しい視点

翌日、美咲は全スタッフを集めて、スループット会計の結果を共有した。

「今日は、私たちの商品を見る新しい視点をお伝えします」

彼女はプロジェクターを使って、昨夜の分析結果を映し出した。

「従来の売上や粗利ではなく、『システム全体への貢献度』という観点から商品を評価してみました」

美咲は商品を4つのグループに分類した表を示した。

「A:スループット貢献度が高く、需要も安定している商品…『基幹商品』」 「B:スループット貢献度は高いが、需要が不安定な商品…『育成商品』」 「C:スループット貢献度は低いが、需要が安定している商品…『維持商品』」 「D:スループット貢献度が低く、需要も不安定な商品…『削減候補商品』」

「特に注目すべきは、この『基幹商品』です。想像以上に、地味な商品が多いことに気づきましたか?」

確かに、A群には日配品や調味料など、特に目立たない商品が多く含まれていた。一方、特売の目玉となる商品の多くはC群に位置していた。

「しかし、これは単にD群の商品をすべて排除すべきということではありません」

美咲は続けた。

「商品には、数字で測れない価値もあります。例えば『集客力』や『他商品との相乗効果』、『顧客満足への貢献』などです」

森本が手を挙げた。

「確かに、スループットの低い特売品でも、それを目当てに来た客が他の商品も買っていくなら、価値があるということだな」

「その通りです。だから、機械的に分類するのではなく、総合的な判断が必要なんです」

美咲は次の施策を提案した。

  1. A群(基幹商品):棚スペースの拡大、陳列位置の最適化、欠品防止の徹底
  2. B群(育成商品):販促強化、需要の安定化策の実施
  3. C群(維持商品):効率化、特にスループットの改善余地がある商品に注力
  4. D群(削減候補商品):数字以外の価値も考慮した上で、段階的に整理

「今後3ヶ月かけて実施し、その結果を見て調整していきましょう」

スタッフたちからは様々な質問が出た。

「特売はどうなるの?」 「顧客のリクエスト商品はどう扱う?」 「季節商品はどのグループ?」

美咲は一つひとつ丁寧に回答した。特に強調したのは、「数字は判断材料の一つに過ぎない」ということだった。

「TOCの考え方では、制約を見つけ、それを最大限に活用することが重要です。今回の分析で見えてきたのは、私たちの『棚スペース』という物理的制約を、どう最適に使うかという問題なんです」

山田が質問した。

「美咲ちゃん、この分析はお客様にも見せるの?」

「いいえ、これは内部の意思決定のためのものです。お客様に見せるのは、その結果として生まれる『より良い品揃えと買い物体験』です」

この日の会議は、まるやまスーパーの歴史の中でも特別なものとなった。長年「感覚」や「経験」で運営されてきた店が、初めて「システム思考」に基づいた意思決定を行う瞬間だったのだ。

銀行との交渉

8月上旬、美咲は地元信用金庫の西川正人(51歳)との面談に臨んでいた。

西川は融資担当者として、まるやまスーパーの資金繰りを長年見てきた人物だ。冷静で現実的な判断を求められる立場だが、地域再生への思いも持ち合わせている。

「城山さん、前回お話しした追加融資の件ですが…」

西川は少し言いづらそうに切り出した。

「本部の審査が厳しくて。現状の業績と担保評価では、難しいという判断です」

美咲は予想していた返答だった。まるやまスーパーは既に8,000万円の負債を抱え、返済も遅れがちだった。通常の銀行審査では、追加融資は期待できない状況だった。

「わかりました。でも、西川さん、今日はこれをお持ちしました」

美咲はファイルを差し出した。そこには、スループット会計に基づく新しい経営計画が詳細に記されていた。

「これは…?」

「私たちの経営改革の全体像です。特に注目いただきたいのは、20ページからの『キャッシュフロー改善計画』です」

美咲は説明した。スループット会計に基づく商品構成の見直しにより、在庫回転率が向上し、キャッシュフローが改善する見込みであること。「朝採れ朝市」や「畑の宝石箱」、「まるやまキッチン」などの高付加価値商品によって、利益率が向上していること。さらに、「共同事業モデル」によって、初期投資を抑えながら新規事業を展開できていることなどを。

西川は興味を持って資料に目を通した。

「従来の会計とは違う視点ですね。『スループット』という概念は初めて聞きました」

「TOCという経営理論に基づいています。私たちのような小規模事業者こそ、制約を活かした経営が必要なんです」

西川は資料をめくりながら、いくつか鋭い質問を投げかけた。美咲は数字に裏付けられた明確な回答で応じた。

「城山さん、率直に言ってこの3ヶ月の変化には驚いています。特に客数と客単価の改善は評価できます」

「ありがとうございます」

「ただ…」西川は言葉を選びながら続けた。「数字だけでは測れない要素もありますよね。例えば、あなたがいなくなったら、この改革は続くのでしょうか?」

鋭い指摘だった。美咲は一瞬言葉に詰まったが、すぐに答えた。

「確かにその懸念は理解できます。だからこそ、私は『システム』として機能する仕組みづくりに注力しています。例えば…」

美咲は、森本、健太、山田らが中心となって運営できる体制づくりや、業務の標準化、定例ミーティングの定着などについて説明した。

「そして何より、スタッフ全員が『なぜそうするのか』を理解することが重要だと考えています。単に指示に従うのではなく、自ら考えて行動できる組織へと変化しつつあります」

西川は沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。

「実は、本部の審査結果をお伝えする前に、少し様子を見ていたんです。この1ヶ月、私は定期的にまるやまスーパーに買い物に行きました」

美咲は驚いた。

「店の雰囲気が変わっていますね。スタッフの表情が明るく、お客さんとの会話も増えている。特に、朝市やキッチンの盛況ぶりは印象的でした」

西川は微笑んだ。

「数字も大事ですが、私は『人』を見て融資を決めることもあります。城山さん、あなたの熱意と実行力、そしてスタッフを巻き込む力は確かなものだと感じました」

彼はファイルを閉じた。

「追加融資については、改めて本部と交渉してみます。ただし、金額は希望の半分程度になるかもしれません」

「それでも十分です!ありがとうございます」

美咲は心から感謝した。この追加資金があれば、老朽化した冷蔵設備の一部更新や、POSシステムの導入初期費用に充てることができる。

西川は立ち上がる前に、もう一言付け加えた。

「城山さん、最後に一つだけ。銀行員としてではなく、一人の地域住民として言わせてください」

「はい」

「まるやまスーパーは、この町にとって大切な存在です。単なる買い物の場所ではなく、コミュニティの中心でもある。そういう『数字では測れない価値』も、どうか大切にしてください」

美咲は深く頷いた。

「はい、必ず」

キャリアの分岐点

8月中旬、美咲は東京の広告代理店から電話を受けた。上司の江口部長(45歳)からだった。

「美咲、久しぶり。調子はどう?」

「江口さん、お久しぶりです。おかげさまで、こちらは少しずつ進展しています」

「そうか、それは良かった。実はね、そろそろ復帰の時期を考えないといけないと思ってね。正式には人事から連絡があると思うけど」

美咲は一瞬言葉に詰まった。既に休職期間の3ヶ月が経過し、残り3ヶ月となっていた。そろそろ判断を迫られる時期が来ていたのだ。

「そうですね…実は、もう少し時間が必要かもしれないと考えていました」

「延長を希望するということ?」

「…はい」

電話の向こうで、江口がため息をついたのが分かった。

「正直、厳しいと思うよ。休職制度は最長6ヶ月まで。もう一度申請するにしても、審査は厳しくなる」

「わかっています」

「それに、美咲のポジションをずっと空けておくのも難しいんだ。チームリーダーだからね。すでに臨時の体制で3ヶ月やってきたけど…」

美咲は胃が重くなる感覚を覚えた。東京でのキャリア、これまで積み上げてきた実績、これからの昇進の可能性…それらを手放すべきか。

「考えておきます。ありがとうございます」

電話を切った後、美咲は深いため息をついた。この3ヶ月、まるやまスーパーの再建に全力を注いできた。TOCの理論を実践し、スタッフを巻き込み、新たな取り組みを始め、少しずつ成果も出始めていた。

しかし、まだ道半ばだった。負債の返済はこれからだし、POSシステムの導入や、店舗改装などの大きな課題も残っている。今、手を離せば、元の状態に戻ってしまうかもしれない。

「でも、私のキャリアは…」

美咲は複雑な思いに揺れていた。東京での広告代理店の仕事は、彼女のアイデンティティの一部だった。競争の激しい業界で認められ、チームリーダーになったことは、大きな自信と誇りだった。

その日の夕方、美咲は陽介に電話をした。

「陽介さん、少し相談があるんだけど…」

美咲は自分の状況を説明した。陽介は静かに聞いていた。

「難しい決断だね…」

「どうしたらいいと思う?」

「僕にはアドバイスできないよ。でも…」

陽介は少し間を置いてから続けた。

「僕も3年前、似たような決断をしたんだ。安定したIT企業のポジションを捨てて、不確かな農業の道を選んだ時…」

「後悔してる?」

「いいや、全然」陽介の声には確信があった。「もちろん大変だし、収入も減った。でも、自分が心から大切にしたいものに向き合えている。それは何物にも代えがたい価値がある」

美咲は静かに頷いた。

「ただ、君の場合は…」陽介は慎重に言葉を選んだ。「完全な二者択一ではないかもしれないね」

「どういうこと?」

「東京と地方の間で働く方法はないか…例えば、部分的にリモートワークをするとか。あるいは、まるやまでの経験を活かして、広告代理店で地方創生関連の仕事を担当するとか」

美咲は目が開かれるような気がした。陽介の言う通り、必ずしも「東京か地方か」という二者択一の問題ではないのかもしれない。

「対立解消図…」美咲はつぶやいた。

「そう、まさにそれだね」陽介は笑った。「君自身に対立解消図を適用してみたら?」

その夜、美咲は自分自身のための対立解消図を描いてみた。

「東京に戻る」vs「地方で継続する」という対立。 両者のニーズ、前提、そして共通の目的を整理していくと… 新たな可能性が見えてきた。

「第三の道…私なりの解決策を見つけなければ」