TOCが教える地方スーパー再生の全戦略 第5章 – 「差別化の源泉」

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MMとの競争激化

7月上旬、蒸し暑い月曜日の朝。美咲が店に到着すると、すでに顔を曇らせた健太が待っていた。

「美咲さん、見てください。これ」

健太が差し出したのは、MMスーパーの最新チラシだった。そこには大々的に「地元応援フェア」と謳われ、「地元産野菜コーナー新設」「朝採れ野菜フェア」などの文字が躍っていた。

「これって…」

「はい、明らかに私たちの『朝採れ朝市』を意識しています」健太は眉を寄せた。「しかも価格が…」

チラシに記載された価格は、まるやまスーパーの「朝採れ朝市」より10~15%安かった。

「ついに真似されたか…」

美咲は複雑な気持ちだった。一方では、自分たちの取り組みが脅威と見なされるほど成功したことへの満足感。他方では、大型店の経済力に太刀打ちできるのかという不安。

その日の「朝採れ朝市」には、いつもより客足が少なかった。

陽介がいつものように野菜を届けに来たとき、美咲は状況を説明した。

「MMが地元産野菜のコーナーを始めたの。しかも私たちより安い価格で…」

陽介はチラシを見て、意外な反応を示した。

「これ、本当に『朝採れ』かな?」

「どういうこと?」

「MMは流通センターから配送されるでしょ?朝収穫した野菜が、その日のうちに店舗に並ぶのは、物理的に難しいはずだよ」

森本も加わり、三人で話し合ううちに、MMの「朝採れ」は前日または前々日に収穫された野菜である可能性が高いことが分かった。

「でも、消費者にはその違いが分からないでしょうね」森本が現実的に指摘した。「値段が安ければ、そちらを選ぶ人も多いだろう」

美咲は悩んだ。単純な価格競争に陥れば、資本力のあるMMに勝ち目はない。かといって、現状の「朝採れ朝市」だけでは差別化が不十分になってきた。

「私たちの強みと、彼らの強みを整理してみましょう」

美咲は紙を取り出し、二つの列を書いた。

「MMの強み:価格、品揃え、駐車場、資本力…」 「まるやまの強み:鮮度、人間関係、機動性、地域密着…」

「このままでは勝てないな…」森本がため息をついた。

美咲は頭を抱えた。これはまさにTOCでいう「対立」の状況だった。価格で勝負するか、差別化で勝負するか—その二律背反をどう解消するか。

「対立解消図を作ってみましょう」

「対立解消図」の活用

昼休み、美咲は事務所のホワイトボードに向かっていた。TOCの「対立解消図」を使って、現在の状況を整理しようとしていたのだ。

対立解消図は、二つの相反する選択肢(A vs B)の背後にある前提や目的を掘り下げ、創造的な「第三の道」を見出すためのツールだ。

美咲は健太、森本、そして電話で参加した陽介と一緒に図を完成させていった。

中央に「対立」を書いた。

「価格競争に参加する」vs「差別化戦略を強化する」

次に、それぞれの選択肢を選ぶ理由(ニーズ)を書いた。

「価格競争に参加する」理由:

  • 顧客を維持したい
  • 売上を確保したい
  • 競合に負けたくない

「差別化戦略を強化する」理由:

  • 適正な利益を確保したい
  • 経営を持続させたい
  • 独自の価値を提供したい

さらに、それぞれの選択肢の背後にある前提を洗い出した。

「価格競争に参加する」前提:

  • 顧客は価格で店を選ぶ
  • 安くしないと顧客は離れる
  • 価格以外の価値は伝わりにくい

「差別化戦略を強化する」前提:

  • 価格以外の価値で選ぶ顧客がいる
  • 高い価格でも納得できる理由があれば購入する
  • 差別化要素は伝えれば伝わる

「問題は…これらの前提が本当に正しいかどうか」美咲は考え込んだ。

健太が言った。「顧客によって違うんじゃないかな。価格重視の人もいれば、価値重視の人もいる」

「その通りだね」陽介が電話越しに同意した。「すべての顧客に同じアプローチをする必要はない」

「そうか!」美咲はハッとした。「私たちは全顧客に対して、MMと同じ土俵で戦おうとしていた。でも、実際には…」

「ターゲットを絞るべきだな」森本が言葉を続けた。「私たちの強みを評価してくれる顧客に集中する」

図の下部に、彼らは「共通の目的」を書いた。

「持続可能な形で顧客に価値を提供し、適正な利益を得る」

そして最後に、対立を解消する「第三の道」を考えた。

「価格だけで選ぶ顧客層はMMに任せ、鮮度・品質・ストーリー・体験を重視する顧客層に特化した価値提供を行う」

「これだ!」美咲は目を輝かせた。「私たちは、すべての顧客を追いかけるのではなく、私たちの強みを評価してくれる顧客に集中すべきなんです」

「具体的には?」健太が尋ねた。

美咲は一瞬考えてから答えた。

「二つの方向性が考えられます。一つは、現在の差別化要素をさらに強化すること。もう一つは、新たな差別化要素を創造すること」

「両方やるべきだな」森本が頷いた。

「そうですね。まず『朝採れ朝市』の強化版として、陽介さんと一緒に『畑の宝石箱』企画を本格的に始めましょう。そして新たな差別化要素として…」

美咲はふと、母の静子を思い出した。彼女の手作り惣菜は、家族の間では評判が良かった。

「…『まるやまキッチン』の立ち上げを検討しましょう。店内で調理した出来立て惣菜の提供です」

対立解消図を使うことで、彼らは価格競争に巻き込まれるという罠から抜け出し、自分たちの強みを活かした新たな道を見出すことができた。

「畑の宝石箱」企画

「畑の宝石箱」企画は、陽介のアイデアから生まれた差別化商品だった。規格外の野菜、珍しい品種の野菜、彩りの美しい野菜などを、宝石に見立てて詰め合わせるというコンセプトだ。

「これらの野菜は見た目は一般的ではないですが、味は同じか、むしろ濃厚なことも多いんです」

陽介と美咲は、販売方法について何度も話し合った。単に「規格外野菜」として売るのではなく、「個性的で味わい深い野菜」という価値を伝えるために、こだわりのパッケージとストーリーを付けることにした。

「各野菜の特徴や料理方法を紹介するカードも入れましょう」美咲が提案した。「理解してもらうことが大切です」

「それと…実際に試食してもらうのはどうかな」陽介が加えた。

こうして「畑の宝石箱」は形になっていった。木箱に詰められた色とりどりの野菜は、見た目にも美しく、一つ一つに「宝石カード」が付けられた。例えば、紫色のじゃがいもには「アメジストポテト」、赤いパプリカには「ルビーベル」といった愛称が付けられた。

初日、美咲は不安だった。規格外の野菜に、通常より少し高い価格を付けることへの懸念があった。しかし、その心配は無用だった。

「こんな可愛らしいじゃがいも、初めて見たわ!」 「野菜の説明カード、勉強になるわね」 「箱ごと買って帰りたいわ!」

特に反応が良かったのは、食に関心の高い40~50代の女性たちだった。彼女たちは価格よりも、野菜のストーリーや料理の可能性に興味を示した。

「畑の宝石箱」は、「朝採れ朝市」とは違う客層を引き付けることに成功した。特に週末には、遠方から足を運ぶ顧客も現れるようになった。

さらに、陽介の提案で「宝石箱」の内容を週替わりにし、「今週の宝石は何?」と顧客が楽しみにする仕掛けを作った。

「限定感と変化が、リピートを生むんだ」陽介は自信を持って言った。

この企画の成功は、MMとの差別化をより鮮明にした。MMが「地元産野菜」を謳っても、このような付加価値やストーリー性は容易に真似できなかったのだ。

まるやまキッチンの展開

「まるやまキッチン」は、もう一つの差別化戦略だった。これは店内の一角を改装して、その場で調理した惣菜を提供するコーナーだ。

美咲の母、静子(62歳)を中心に、高齢の女性スタッフが腕を振るった。彼女たちの家庭料理の知恵と技術が、ここで活かされることになった。

「お母さん、自信作は何ですか?」

美咲が尋ねると、静子は少し照れながら答えた。

「そうねぇ、やはり五目ちらし寿司かしら。あとは季節の煮物も好評よ」

設備投資には限りがあったため、まずは最小限の調理器具と作業台を設置することから始めた。メニューも、初めは五品程度の少なさだった。

「本当にこれで大丈夫かしら…」静子は不安そうだった。

「大丈夫ですよ、お母さん。少ないからこそ、一つ一つに魂を込められるんです」

美咲の言葉通り、「まるやまキッチン」は開始早々から好評を博した。特に、「朝採れ朝市」で購入した野菜を使った料理は、その日の野菜の良さを最大限に引き出す味わいだった。

「まるやまさんのお惣菜は、スーパーのものとは思えないわ!」 「これ、お母さんの味がするわね」 「少ないけど、一つ一つが本当に美味しい」

開店から一時間以内に完売することも珍しくなかった。

特に評判だったのは、静子が考案した「朝採れサラダ弁当」だった。その日の朝に収穫された野菜と、地元の食材を活かした一品が詰められた弁当は、見た目も美しく、健康志向の顧客に人気となった。

「これ、私のお弁当のアイデアにもなるわ」 「会社に持っていきたいけど、すぐ売り切れちゃうのよね」

これらの声を受けて、美咲は予約制度を導入した。前日までに予約すれば、確実に購入できるシステムだ。これにより、顧客の囲い込みと売上の安定化を同時に実現できた。

「まるやまキッチン」は、単なる惣菜コーナーではなく、コミュニティの場としても機能し始めた。静子と常連客の世間話、料理のコツの伝授、季節の食材についての情報交換など、食を通じたコミュニケーションの場となったのだ。

美咲は、この「場」としての価値に気づき、小さなイートインスペースを設けることを決めた。テーブル二つ、椅子六脚という小規模なものだったが、これがさらなる交流を生んだ。

「この空間こそ、MMにはない私たちの強みなんだ…」

美咲はそう実感していた。大型店の効率性や価格競争力に対して、まるやまスーパーは「人間らしさ」という価値を対置することができたのだ。


ある日、美咲がバックヤードで仕事をしていると、健太が慌てた様子で入ってきた。

「美咲さん、大変です!」

「どうしたの?」

「MMが…また新しい戦略を打ち出しました」

健太が見せたチラシには、「地域の食材で作る手作り弁当フェア」と記載されていた。価格は「まるやまキッチン」より10%ほど安かった。

「また真似されたわね…」

美咲は一瞬落胆したが、すぐに気持ちを切り替えた。

「でも、これは私たちが正しい方向に進んでいる証拠でもあるわ。大型店が真似するほど、価値があるってことだもの」

健太は不安そうだった。

「でも、このままでは…」

「大丈夫。私たちには彼らにはない武器がある」

美咲は立ち上がり、ホワイトボードに向かった。

「今日、閉店後に全スタッフミーティングを開きましょう。次の一手を考える時よ」