TOCが教える地方スーパー再生の全戦略 第7章 – 「決断の時」

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人生の対立解消図

8月下旬、美咲は自宅の部屋で大きな模造紙に向かっていた。そこには「人生の対立解消図」と題された図が描かれていた。

「東京に戻る」vs「地方に残る」

この二つの選択肢の間で揺れる美咲は、TOCの対立解消図を使って自分の思考を整理しようとしていた。

まず、それぞれの選択肢を選ぶ理由(ニーズ)を書き出した。

「東京に戻る」理由:

  • キャリアを継続したい
  • これまでの実績・人脈を活かしたい
  • より大きな舞台で挑戦したい
  • 経済的な安定を得たい

「地方に残る」理由:

  • 家業の再建を完遂したい
  • 地域に貢献したい
  • 親の安心を確保したい
  • 陽介との関係を深めたい

次に、それぞれの選択肢の背後にある前提を洗い出した。

「東京に戻る」前提:

  • キャリア発展は東京でしかできない
  • 地方に残れば、これまでのスキルや経験が無駄になる
  • 地方では経済的に満足できる仕事が見つからない

「地方に残る」前提:

  • 私がいなければ、まるやまは再び低迷する
  • 東京に戻れば、家族や地域との絆が薄れる
  • 東京と地方は両立できない

美咲はペンを置き、自分が書いた前提を眺めた。

「これらの前提は、本当に正しいのだろうか…」

特に「キャリア発展は東京でしかできない」「東京と地方は両立できない」という前提は、本当にそうなのだろうか。

美咲はスマートフォンを手に取り、リサーチを始めた。二拠点生活をしている人々、地方でリモートワークをしている人々、地方創生に関わりながら東京とのコネクションを保っている人々…様々な働き方や生き方が存在することがわかった。

そして、図の下部に「共通の目的」を書いた。

「自分らしく幸せに生き、価値を創造し続けること」

この目的を実現するための「第三の道」は何か。美咲は思考を巡らせた。

「東京のキャリアと地方の家業を対立と捉えるのではなく…」

彼女はふと閃いた。その視点の転換が、新たな可能性を開くかもしれない。

第三の道への挑戦

翌日、美咲は陽介とカフェで落ち合った。

「新会社?」

陽介は美咲の提案に驚いたように目を見開いた。

「そう、『まるっと』という新会社」美咲は興奮した様子で説明した。「まるやまスーパーを母体としながらも、新たな事業展開を担う会社。食と地域をつなぐプラットフォームのような存在よ」

美咲の構想は、単なるスーパーマーケットという枠を超えていた。「朝採れ朝市」や「畑の宝石箱」、「まるやまキッチン」といった既存の取り組みに加え、以下のような新事業を検討していた。

  1. 「まるっとマルシェ」:月1回の大規模ファーマーズマーケット
  2. 「まるっと食育」:料理教室や食の学びの場の提供
  3. 「まるっとデリバリー」:高齢者向け食材・惣菜宅配サービス
  4. 「まるっとコンサルティング」:地方スーパーや生産者向けのコンサルティング

「新会社を作る理由は主に三つ。一つは既存の負債から新事業を切り離すため、二つ目は新たな出資や融資を受けやすくするため、三つ目は…私自身の新しい働き方を実現するため」

美咲は、東京と地方を行き来する二拠点生活を計画していた。広告代理店での経験やネットワークを活かしながら、「まるっと」を成長させる構想だった。

「東京での仕事は?」陽介が気になる点を尋ねた。

「それが昨日、江口さんに相談してみたの」

美咲は前日の電話での会話を伝えた。彼女は正直に自分の気持ちと構想を江口に話したのだ。

「正社員としての復帰は難しいかもしれないが、契約社員やプロジェクトベースでの仕事なら可能性がある」というのが江口の回答だった。さらに、「地方創生」関連のプロジェクトが増えているため、美咲の経験は貴重だとも言ってくれたという。

「不確実性はあるけど…私、挑戦してみたいの」

陽介はしばらく考え込んだ後、静かに言った。

「僕は…応援するよ。そして、もし良ければ、僕も『まるっと』に関わりたい」

美咲は嬉しそうに微笑んだ。

「実は、あなたを『まるっと農園』事業の中心メンバーとして考えていたの」

「まるっと農園?」

「そう、あなたの農場を拠点に、体験型農業や食育プログラムを展開する構想よ。あなたのような若手農家と、私たちのような小売業が連携することで、新しい価値が生まれると思うの」

陽介の目が輝いた。

「それは…僕の夢とも重なるよ。農業の魅力を伝える場所を作りたいと思っていたから」

二人は熱心に構想を語り合った。会話の中で、単なるビジネスパートナー以上の関係性が深まっていくのを、お互いに感じていた。

新会社設立計画

美咲は新会社設立の具体的なプランを練り始めた。まず家族に相談した。

「新会社?」

父は驚いたが、美咲の説明を聞くうちに納得の表情に変わっていった。

「なるほど…『第二会社方式』か。確かに、負債を抱えたまま新しい挑戦をするのは難しいな」

「お父さん、あなたはどう思う?反対?」

父は頭を振った。

「いや、理にかなっていると思う。ただ、既存のまるやまスーパーはどうなる?」

美咲は計画を説明した。当面は両社を並行して運営し、「まるっと」が軌道に乗ったら、段階的にまるやまスーパーの資産や事業を移管していく。最終的には、まるやまスーパーの負債を返済した上で、統合または清算するというプランだった。

「5年計画ね…」母の静子が言った。「でも、その間、美咲は東京と行き来するの?」

「そうよ、お母さん。当面は月の半分は東京、半分は地元という生活になる予定」

母は少し心配そうな表情を見せた。

「大変じゃない?そんな生活…」

「確かに大変だと思う。でも、それが私の選んだ『第三の道』なの。東京か地方か、という二者択一ではなく、両方の良さを活かす道よ」

父と母は互いに顔を見合わせた後、静かに頷いた。

「美咲がそう決めたなら、応援する」父が言った。

次に、美咲はスタッフたちに計画を説明した。当初は戸惑いの声もあったが、「まるやまスーパーを守りながら、新たな成長の道を探る」という趣旨に、多くのスタッフが理解を示した。

特に、森本は意外な反応を見せた。

「新会社か…面白いな。実は俺も、もっと野菜や果物の目利きを活かせる仕事ができればと思っていたんだ」

美咲は嬉しそうに言った。

「森本さん、『まるっと』では『食のマイスター』として、あなたの経験と知識を活かしてほしいんです。生産者と消費者をつなぐ架け橋になってください」

森本の顔が明るくなった。

「そうか…俺にもまだ役割があるのか」

美咲は次に、西川融資担当者に計画を相談した。西川は慎重に計画書に目を通した後、いくつかの鋭い質問を投げかけた。

「この計画は確かに理にかなっています。ただ、スタートアップ資金をどう調達するかが課題ですね」

「はい、初期投資をいかに抑えるかが重要だと考えています。そのため…」

美咲は「共同投資モデル」を説明した。生産者、小売業者、場合によっては顧客も含めた資金調達の仕組みだ。リスクとリターンを分かち合うことで、単独では難しい事業も可能になる。

西川は関心を示した。

「地域内の小さな資本を集めて新しい価値を創る…地域金融機関として、応援したい取り組みです」

こうして、「まるっと」設立に向けた具体的な準備が始まった。

東京での交渉

9月上旬、美咲は東京に飛んだ。広告代理店との交渉と、新たな取引先開拓が目的だった。

江口部長との面談は緊張感に満ちていた。

「復帰しないという正式な意思表示として受け止めていいのかな?」

江口は少し残念そうに尋ねた。

「はい…正社員としては戻れないと思います。ただ、プロジェクトベースでご一緒できる可能性を残していただけるなら…」

江口はしばらく黙ってから、話し始めた。

「実はね、美咲。君がいない間に、いくつか変化があったんだ」

彼は説明した。最近、広告代理店業界でも「地方創生」「地域ブランディング」関連の案件が増えているという。特に食品メーカーの中には、地方の生産者と直接つながりたいというニーズが高まっていた。

「そこで提案なんだけど…『まるっと』が立ち上がったら、我々の協力パートナーになってくれないか?」

美咲は驚いた。

「協力…パートナー?」

「そう。君が構想している『まるっと』が、都市と地方をつなぐハブになれば、我々のクライアントにとっても価値がある。小規模ながらも特色ある生産者や、地域に根ざした小売業者とのつながりは、大手にとって簡単に構築できるものではないからね」

美咲は目を輝かせた。これは予想外の展開だったが、彼女の「第三の道」構想にぴったり合うものだった。

「ぜひお願いします!」

江口は資料を取り出した。

「これは来月予定しているプロジェクトの概要だ。大手食品メーカーが地方の『本物の味』を探している。君の『畑の宝石箱』のような取り組みに興味を持つかもしれない」

その場で、美咲は早速資料に目を通し、自分たちができることをメモし始めた。

「これは…陽介さんの野菜が活かせるかも」

江口は微笑んだ。

「君は変わったね、美咲。以前より…柔らかくなった」

「え?」

「以前の君は、常に完璧を求めていた。自分の弱さを見せるのを極端に恐れていたよね。でも今は…」

美咲は少し照れながら頷いた。

「地方での3ヶ月で、多くのことを学びました。特に、『制約を武器に変える』という考え方は、自分自身にも適用できるんだと気づいたんです」

「制約を武器に…か」

江口は感心したように言った。

「じゃあ、まずは来月のプロジェクトからだ。その後の展開は、実績次第ということで」

美咲は嬉しそうに頷いた。これで「まるっと」の収益源の一つが見えてきた。地方と都市をつなぐ「食のキュレーター」として、新たな価値を提供できる可能性が広がったのだ。

東京での数日間、美咲は他にもいくつかの会社を訪問した。かつての取引先や同僚にも会い、自分の新しい挑戦について語った。

「地方スーパーの娘が継いで再生…その物語自体に価値があるわね」

元同僚の一人がそう言った言葉が、美咲の心に残った。確かに彼女の経験自体が、都市と地方をつなぐストーリーになりうるのだ。

リニューアルオープン

9月下旬、「まるやまスーパー リニューアルオープン」の日が訪れた。新会社「まるっと」の設立はまだ準備段階だったが、このリニューアルは両社の橋渡しとなる重要なイベントと位置づけられていた。

数週間の準備期間を経て、店内レイアウトを一新し、「朝採れ朝市」「畑の宝石箱」「まるやまキッチン」コーナーを拡充。さらに、小さなイートインスペースも設置された。

オープン前日の夜、美咲は全スタッフを集めて最後のミーティングを行った。

「明日は新しいまるやまスーパーの船出です。私たちの強みは何でしょうか?」

健太が答えた。「地域とのつながりです」

山田が続いた。「お客様一人ひとりを大切にすることです」

森本も言った。「本物の味と品質へのこだわりです」

美咲は満足そうに頷いた。

「その通りです。私たちは『小規模である』という制約を、『一人ひとりに寄り添える』という強みに変えました。『地方にある』という制約を、『地域に根ざした本物の価値を提供できる』という強みに変えました」

彼女は店内を見渡した。

「この数ヶ月、皆さんと一緒に歩んできたことを誇りに思います。そして、これからも一緒に成長していきたいと思います」

全員で手を重ね合わせた。

「まるやま、頑張ろう!」

リニューアルオープン当日、予想を上回る多くの顧客が訪れた。地元紙にも取り上げられ、「東京のキャリアウーマンが実家のスーパーを継いで再生」というストーリーが、人々の関心を引いたのだ。

「美咲ちゃん、素敵なお店になったわね!」

小林みどりさんが、友人たちと一緒に来店した。

「ありがとうございます。小林さんたちの声を参考にしたんですよ」

「わざわざイートインまで作って…これで友達とお茶しながらおしゃべりできるわね」

特に盛況だったのは「まるっとマルシェ」の第一回目。店の駐車場を使った小さなファーマーズマーケットだが、陽介をはじめとする地元の生産者十数名が出店した。野菜や果物だけでなく、加工品や手作り雑貨なども並び、小さな「市場」となった。

「これ、月一でやるの?楽しみね!」

マルシェでは、「まるっと農園」構想についても説明が行われ、パンフレットが配布された。

「農業体験ができるの?子供を連れていきたいわ」

「料理教室も興味あるわ」

陽介と美咲は、多くの人々と会話を交わしながら、「まるっと」の将来像をより具体的に描いていった。

閉店後、疲れた表情ながらも充実感に満ちた美咲は、特に感謝の気持ちを伝えたい相手がいた。

「森本さん、今日は本当にありがとうございました。あなたの『食のマイスター』としての解説が、お客様に大好評でした」

森本は恥ずかしそうに頭をかいた。

「いやぁ…長年培った知識が役に立つとはね。嬉しいよ」

「それと、美香さんの件…」

「ああ、あの話か。大学の奨学金、高橋先生のおかげで応募できたよ。合格するかどうかはまだだけどね」

「きっと大丈夫ですよ。それと、来年の夏休みには、東京でのインターンシップの件も…」

「本当にありがとう」森本は真摯な表情で言った。「美咲さん…最初は君を完全に誤解していたよ。今は心から感謝している」

美咲は静かに微笑んだ。人間関係の修復と信頼構築、それもまた「制約を武器に変える」過程の一部だったのだ。

この日、美咲は重要な決断をしていた。「第三の道」を歩むこと。東京と地方を行き来する生活を選ぶこと。そして、「まるっと」という新たな挑戦に全力で取り組むこと。

「これが私の選んだ道…」

その夜、彼女は陽介に電話をかけた。

「今日はありがとう」

「いや、こちらこそ。本当に素晴らしい一日だったよ」

「陽介さん…私、決めたの。『まるっと』で、一緒に新しい価値を創っていきたい」

電話の向こうで、陽介の声が少し震えた。

「僕も…美咲と一緒に歩みたい。ビジネスパートナーとしてだけじゃなく…」

美咲は静かに微笑んだ。彼女の人生の対立解消図は、予想以上に豊かな「第三の道」を示してくれていた。