TOCが教える地方スーパー再生の全戦略 第9章 – 「時間という制約」

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24時間の壁

「24時間。これが私たち全員が直面する最も基本的な制約です」

11月末、美咲は回復期間を経て、再び仕事に復帰していた。今日は「まるやま」スタッフと「まるっと」設立メンバーを集めた特別ミーティングを開いていた。

「どんなに裕福な人でも、どんなに権力のある人でも、一日は24時間しかありません。そして、その24時間をどう使うかによって、成果も幸福度も大きく変わってきます」

美咲は大きな紙に円グラフを描いた。

「これが私の一日です。睡眠8時間、食事と身支度2時間、移動3時間、仕事10時間、その他1時間…」

彼女は続けた。

「過労で倒れたとき、私は『時間がない』と嘆いていました。でも、実は問題は『時間がない』ことではなく、『限られた時間で、何を優先するかを決めていなかった』ことだったんです」

陽介が質問した。

「TOCの視点で見ると、どうなるの?」

美咲は微笑んだ。

「いい質問です。TOCでは『スループット』という概念がありますよね。売上から完全変動費を引いた、システムに流れ込むお金のことです」

全員が頷いた。

「それを時間に当てはめると…『時間のスループット』という考え方になります。つまり、投入した時間から得られる真の価値です」

美咲は新しい図を描いた。縦軸に「価値創造度」、横軸に「時間」をとったグラフだ。

「私たちの活動は、時間当たりの価値創造度で評価できます。例えば…」

彼女は具体例を挙げた。

「1時間のミーティングで重要な決定を3つ下せれば、価値は高い。しかし同じ1時間でも、決定に至らなければ価値は低い」

「仕入れ交渉の1時間で5%の値引きを達成すれば、価値は高い。しかし同じ1時間でも、成果がなければ価値は低い」

健太が理解したように言った。

「つまり、時間の長さよりも、その時間で何を達成するかが重要だということですね」

「その通り。私が倒れたのは、『時間のスループット』を意識せず、単に長時間労働で対応しようとしたからなんです」

森本が腕を組みながら質問した。

「具体的には、どうすれば時間の…スループットが上がるんだい?」

美咲はホワイトボードに向かい、「時間のスループットを高める3つの方法」と書いた。

「1. 高価値活動に集中する(何に時間を使うか)」 「2. 効率を高める(どう時間を使うか)」 「3. エネルギー管理を行う(時間の質を高める)」

「これから、私たち全員でこれを実践していきたいと思います」

美咲の話に、スタッフたちは興味深そうに聞き入った。過労で倒れた彼女が、自分自身の体験から学び、チーム全体の働き方を変えようとしていることに、共感と期待を抱いたのだ。

スケジュール管理の試行錯誤

「まず私自身の経験から共有します」

美咲は自分のスケジュール手帳を見せた。

「過労前は、こんな風にびっしりと予定を詰め込んでいました。移動中もパソコンを開き、常に『何かをしなければ』という焦りがありました」

ページをめくると、新しいスケジュール管理法が見えた。

「今は、一日を3つのゾーンに分けています。『集中ゾーン』『コミュニケーションゾーン』『リフレッシュゾーン』です」

美咲の新しいスケジュールでは、午前中の9時から12時が「集中ゾーン」。この時間は重要な思考や企画、複雑な問題解決など、高い集中力を要する作業に充てられていた。電話やメールは基本的に遮断し、中断なく作業に没頭できる環境を作る。

13時から16時は「コミュニケーションゾーン」。ミーティングや電話、メール対応など、他者とのやり取りを集中させる時間だ。

16時以降は「リフレッシュゾーン」。翌日の準備や軽作業、そして心身の回復のための時間として位置づけられていた。

「この区分けにより、一日の中でメリハリがつき、集中力の波を活かせるようになりました」

しかし、美咲は実践する中で直面した課題も正直に共有した。

「理想通りにはいきません。特に私のように二拠点生活をしていると、移動日のリズムは崩れますし、急な対応が必要な場合もあります」

そこで彼女が編み出したのが「コアタイム」と「フレキシブルタイム」の概念だった。

「どんなに忙しい日でも、最低2時間の『コアタイム』は確保します。これは自分にとって最も価値の高い活動に使う時間です。私の場合は、新企画の立案や重要な意思決定などですが、人によって異なるでしょう」

美咲は続けた。

「そして『時間のスループット』を意識して、高価値だが緊急ではない活動を優先するようになりました。例えば、短期的な売上向上策より、長期的なブランド構築。目の前の問題対応より、問題の根本原因を解決するシステム構築などです」

健太が質問した。

「でも実際には、緊急の問題が次々と発生しますよね?」

「その通り」美咲は頷いた。「だから私はこれも導入しました」

彼女は新しいノートを取り出した。そこには「緊急度」と「重要度」で分類された2×2のマトリクスが描かれていた。

「このマトリクスを使って、タスクを分類します。重要かつ緊急なものは即対応。重要だが緊急でないものは計画的に対応。緊急だが重要でないものは委任。どちらでもないものは排除または後回しにします」

美咲は実際にこの方法を使って成功した例として、「まるっとマルシェ」の準備を挙げた。以前は直前になって慌ただしく準備していたが、現在は2ヶ月前から計画的に準備を進め、緊急事態を減らしているという。

「コツは、『重要だが緊急ではない』活動に定期的に時間を投資することです。これにより、将来の『緊急事態』を減らせます」

この話を聞いた森本が感心したように言った。

「なるほど…俺も仕入れの計画をもっと先読みすれば、直前の慌てた対応が減るかもしれんな」

「その通りです」美咲は嬉しそうに言った。「それが『時間のスループット思考』なんです」

「時間のスループット」思考

美咲の共有から一週間が経ち、スタッフたちは各自の方法で「時間のスループット」を意識し始めていた。

今日の朝礼で、美咲は新しい視点を伝えた。

「『時間』という制約を最大限に活用するには、自分の時間だけでなく、チーム全体の時間を最適化する必要があります」

彼女は説明した。

「例えば、私が1時間かけて完成させる作業があるとします。しかし森本さんなら30分で同等以上の質で完成させられるとしたら…」

「俺に任せる方がいいってことだな」森本が続きを言った。

「はい。それが『比較優位』の考え方です。それぞれの得意分野に集中することで、チーム全体の時間のスループットが向上します」

この考えを基に、美咲は「まるやま」と「まるっと」のタスク分担を再検討した。特に自分の役割を見直し、「自分にしかできないこと」と「他のメンバーの方が効率的にできること」を明確に区別した。

「私は『まるっと』の企画立案と東京との連携に特化します。一方、日常の店舗運営は健太くんに、仕入れと商品開発は森本さんに、顧客対応は山田さんに、農園関連は陽介さんに…」

この再分担により、各自が自分の強みを活かせる体制が整った。

美咲はさらに、「時間のスループット」を高めるための具体的な手法も共有した。

「時間の『タスク切り替えコスト』を意識していますか?私たちが一つの作業から別の作業に切り替えるたびに、集中力が損なわれ、15〜25分の調整時間が必要だというデータがあります」

そこで彼女が提案したのは「タスクバッチング」。同種の作業をまとめて行うことで、切り替えコストを最小化する方法だ。

「例えば、メール対応は一日2回に限定する。電話は特定の時間帯にまとめる。ミーティングは連続して設定する…などです」

健太が質問した。

「でも、緊急の連絡はどうしますか?」

「それには『優先度フラグ』システムを導入しました」

美咲は店内で使用している連絡ツールの画面を見せた。そこには3段階の優先度がマークされていた。

「赤は『即対応必須』、黄色は『2時間以内に対応』、緑は『定時対応でOK』。これにより、本当に急ぎの連絡と、そうでない連絡を区別できます」

この仕組みにより、不要な中断が減り、集中できる時間が増えたという。

美咲はさらに「未完了のオープンループ」という概念も紹介した。

「頭の中に『やらなければならないこと』を抱えたままだと、無意識のストレスとなり、集中力を奪います。だから、すべてのタスクや気がかりをノートやアプリに書き出し、頭の外に出すことが重要です」

彼女は自分のノートシステムを見せた。「プロジェクト一覧」「次のアクション」「待ちリスト」「いつか/たぶん」などのカテゴリに分かれており、すべてのタスクや気がかりが整理されていた。

「これにより、『何を次にすべきか』で悩む時間が減り、実際の行動に集中できるようになりました」

森本が感想を述べた。

「なんだか難しそうだが…でも確かに、頭の中がごちゃごちゃしていると、仕事も遅くなるよな」

「そうなんです」美咲は頷いた。「TOCでいう『制約を最大限に活用する』とは、私たちの場合、限られた時間と注意力を最も価値のある活動に向けることなんです」

東京と地方のリズムの違い

二拠点生活を再開した美咲は、東京と地方のリズムの違いに新たな気づきを得ていた。

「東京と地方では、時間の流れ方が違います」

12月中旬、美咲は陽介と「まるっと農園」の計画について話し合っていた。

「東京では、すべてが速い。移動、会話、意思決定…常に次へ次へと進むプレッシャーがあります。一方、地方では…」

「自然のリズムを感じる余裕がある」陽介が言葉を継いだ。

「そう。それぞれに良さがあるんです」

美咲は二つのリズムの違いを、「まるっと」の強みに変える方法を考えていた。

「東京の『スピード感』と地方の『じっくり育てる感覚』…これらを組み合わせると、新しい価値が生まれると思うんです」

具体的には、プロジェクトの性質によって、「東京モード」と「地方モード」を意識的に切り替えるという方法だ。

「新企画を立ち上げる際の頭の回転の速さ、意思決定のスピードは『東京モード』で。一方、関係構築や品質へのこだわり、持続可能性の視点は『地方モード』で」

陽介は感心した様子で頷いた。

「その考え方、好きだな。私たちの強みは、両方の世界を知っていることだもんね」

美咲と陽介は「まるっと農園」のビジョンを描き続けた。体験型農業、食育プログラム、コミュニティガーデン、そして地方創生の実験場としての役割…それらのアイデアが次々と生まれた。

しかし、計画の背後には常に「時間」という制約があった。

「現実的には、私たちの時間や資源には限りがあります。どのプロジェクトを最初に進めるべきでしょうか?」

美咲はTOCの考え方を使って優先順位を決めることを提案した。

「各プロジェクトの『投資対効果』を、単純な金銭的リターンではなく、『時間のスループット』で評価してみましょう」

彼女は各プロジェクトについて、以下の要素を評価した。

  1. 投入する時間(時間コスト)
  2. 得られる価値(金銭的リターン、社会的インパクト、学習効果など)
  3. 必要なリソース(人材、資金、設備など)
  4. 実現可能性とリスク

「この分析によると、最初に取り組むべきは『子ども向け農業体験プログラム』と『地元シェフとのコラボイベント』ですね」

これらは比較的少ない時間投資で大きな価値を生み、「まるっと」のブランド構築にも貢献すると判断された。

「小さく始めて、成功体験を積み重ねる。その方が持続可能です」

陽介も同意した。

「そうだね。私たちの時間とエネルギーも有限だから、焦点を絞るのは賢明だと思う」

テクノロジーの活用と限界

美咲の二拠点生活と「時間のスループット」向上に欠かせなかったのが、テクノロジーの活用だった。

「テクノロジーは私たちの最大の味方であり、同時に落とし穴でもあります」

美咲はクラウドツール、プロジェクト管理アプリ、コミュニケーションプラットフォームなどを駆使して、場所に縛られない働き方を実現していた。特に、「まるやま」と「まるっと」のメンバー間の情報共有には、共有カレンダーやタスク管理ツールが不可欠だった。

「リモートワークの鍵は『見える化』です。誰が何をしているか、どの段階にあるか、何が課題かを常に可視化することで、物理的な距離を超えたチームワークが可能になります」

美咲は「まるやま」のバックオフィスに大きなデジタルボードを設置した。そこには各プロジェクトの進捗状況や、今週の重要タスク、メンバーの予定などが一目で分かるよう表示されていた。

「これにより、私が東京にいる間も、全員が全体像を把握できます」

しかし、テクノロジーへの過度の依存には注意が必要だと美咲は学んでいた。

「便利なツールに囲まれると、ついつい『常時接続』の状態になりがちです。それが『時間のスループット』を下げることもあります」

美咲は自身の経験を振り返った。

「過労で倒れる前、私は電車の中でもメールチェック、食事中も連絡対応…常に『オン』の状態でした。でも実は、そのほとんどは緊急ではなく、数時間後に対応しても問題なかったんです」

そこで彼女が導入したのが「デジタルデトックスタイム」。一日の中で意図的にデジタル機器から離れる時間を設けるのだ。

「朝の最初の1時間と、夜の最後の1時間はデジタル機器に触れません。また、食事中や重要な打ち合わせ中も通知をオフにします」

この実践により、美咲の集中力と創造性は向上した。特に、新しいアイデアは「オフライン」の時間に生まれることが多いと気づいたのだ。

「我々の脳は、常に情報を処理していると疲弊します。『何もしない時間』こそ、実は重要な思考が行われているんです」

テクノロジーの限界を認識することで、美咲は対面コミュニケーションの価値も再評価していた。

「メールやチャットで済ませられることもありますが、重要な意思決定や関係構築には、やはり『顔を合わせる時間』が必要です」

そこで彼女は「コミュニケーションの階層」を定義した。

  1. 情報共有・進捗報告 → テキスト(メール、チャット)
  2. 調整・簡単な意思決定 → 音声(電話、ボイスメッセージ)
  3. 複雑な議論・関係構築 → ビデオ通話
  4. 重要な意思決定・信頼構築 → 対面

「適切な手段を選ぶことで、時間を節約しながらも、必要な質のコミュニケーションを確保できます」

美咲のこの取り組みは、スタッフ全体の働き方にも影響を与えていた。特に、年配のスタッフにとっては新しい経験だった。

「最初は難しかったですね」山田は笑いながら言った。「でも今は、タブレットでビデオ会議ができるようになりました。孫との連絡にも使っています」

森本も変化していた。

「紙の手帳から、共有カレンダーに移行したよ。みんなの予定が見えるのは便利だな」

美咲は満足そうにチームの成長を見つめていた。テクノロジーは目的ではなく手段であり、最終的には人とのつながりを強化するためのものだということを、全員が理解し始めていたのだ。